異世界旅行記

所謂、コンサート備忘録。

ガラスの眼をした猫は今(BUMP OF CHICKEN TOUR 2017-2018 PATHFINDER)

 誰も気にしないようなことをずらずらと語りたくなってしまったのは、このようなブログを見つけてしまったせいだ。

 

shiomilp.hateblo.jp

 

 

 

 同世代の彼のブログは、ひどく刺さった。ある種の恥ずかしい自己開示を、宝石のように煌々と輝くその感情を、丁寧な糸で紡いでいるその文章は紛うことなく美しかった。

 

  こういう文章を見ると、感動すると同時に、どこか異常に悔しくなってしまうのは、私が才悩人だからだろうか。

今年のツアーについてと、BUMPについて思うことを、残しておきたくなったので、

私の感情を分別するべく、残しておく。

 

 

 

 

 去年も、私は参戦ブログを書いた。

 

tureduure.hatenadiary.jp

 

 

 去年書いたブログに、そこに乗せた感情に、勿論嘘はないのだけれども、そこにはあまり自分の鬱屈とした感情を載せないようにしていて。

「ほんとのほんと」は別のところにあって。

 

それも無性に書き残したいと思ったのだった。 誰も気にしないようなことでも、それでも自分にはオオゴトなのである。

 

 

 

 

私とBUMP OF CHICKENとの出会いは、 嫉妬から生まれた。

 

中学の私は、鬱屈とした感情をありきたりな言葉で、自己満足に文章化していた。 私の友人もまた、ポエムなんかを書いていた。 彼女は私にポエム集を見せてくれた。 そこに、痛烈に光る文章を見つけた。

 

「午前二時 フミキリに望遠鏡を担いでった…」 素直に魅了された。

 

 世界が広がる予感がした。

 それをそのまま伝えるのが悔しくて、 「詩は素敵だけど、ポエムとしては、この反復要らなくない??」と言った。

  すると彼女は、「それ、BUMP OF CHICKENというバンドの曲だよ。」と、笑って答えた。 「アルバム貸そうか?」とも。

 

無論、借りた。 彼女の貸してくれた「jupiter 」と「THE LIVING DEAD」。

 

  どの曲も、言語化できないもやもやとした感情が言語化されていて、一曲一曲がひとつの短編小説を読むような感覚だった。特に、「K」は意味に気づいて中学の私はゾッとした。

 

惚れた。

 

…そこから私の生活の一部に、BUMPが加わった。 テスト期間にラジオの公開収録に行ったり、高校の読書感想文に言葉の持つ魅力を語るうちに、原稿用紙4枚中3枚がBUMP OF CHICKENの魅力を伝えるものを出したりした。

 

「神に誓うな己に誓え」という藤くんの言葉を待ち受けにして、生きていたりも。

 

 

 そして、初めて買ったBUMP OF CHICKENのアルバム、「orbital period」。

 分厚い物語を紡ぐ、分厚いブックレット。

キラキラとした曲たち、の中にある「才悩人応援歌」。

 

  「才悩人応援歌」は初めて聴いた時から、「私の曲だ……!!!」と思っている。 才能のない私、それでも何かに憧れている私、言葉にできない感情が見事に言葉になっていると思った。 それをBUMP好きの友達に語ったら、「あれは、私の曲だよ」って言い返されたりした。 あの曲の最高に好きなところは、結局、自分の応援歌は自分で歌え、ってところです。

 

 

 あんなに私は救われたし、救われた人の多い曲だと思うのに、 「誰かのために歌われた歌などない」 って歌い切ってしまうところに、最高に痺れている。

 

 

 まぁその他にも痺れる曲はたくさんあって、それを語ってしまうと日が暮れるから割愛するけれど、とにかく、私はBUMP OF CHICKENの曲に、藤くんの言葉に救われてきた。 

 

BUMP OF CHICKENの泣きたい時に隣に居てくれるような、そっとハンカチを差し出してくれるような歌詞に救われてきた。はたまた、言語化できない、けれど幾多にも広がるある種の絶望を明確に言葉にしてくれた歌詞に元気付けられることも多かった。藤くんの語る言葉は、潜在的二人称のように感じられて、私はあなただし、あなたは私だという哲学的な、文学的な香りに酔いしれていた。

 

 

 そして、初めてライブに行ったのは、2012年の「GOLD GLIDER TOUR」。

本当は2008年の「ホームシップ衛星」に死ぬほど行きたかったけれど、受験期のバタバタでチケットが取れなかった。そこから、ツアーが中々なくて(生みの苦しみ期だろうな…)、やっと参加できたツアー。

 

 

ただただ、楽しくて幸福度数の高いライブだった。正直、興奮しすぎていて、何の曲をやったかとか、きちんと覚えていないけれど、「あの時聞いた曲を忘れても、あの時いたことは忘れない」である。ああ、最高だった。

 

 

そこから数年ライブはやらないだろうな、とその時は、ライブの思い出に存分に浸ろうとしていたら、次の年も、その次の年もあった。もちろん参加した。その次の年は、Mステにも紅白にも出演した。本当に驚いた。

 

 

 そうやって、日常でBUMPを聴いていたから、「ray」で、「楽しい方がずっといいよ 誤魔化して笑ってくよ」という歌詞を聴いた時に、あぁ、BUMP OF CHICKENは随分遠いところに行ってしまったな…置いてかれたな…って思ったのが正直なところだった。

 

 

 「楽しい方がずっといい」なんて分かってる。

  そんな風になれない夜にあなた達が生んだ「その時だけのメロディー」を大切に聴いてきたけれども、楽しくなれなくても、そこを懸命にもがいていく強さを、弱さを教えてくれたのがあなた達なのに、「楽しい方がずっといい」なんて、あなた達からじゃなくても嫌という程教えられているし、あなた達にそう言って欲しくなかった、と強く思ってしまった。

 

  そもそも、売り方が露骨に変わって、何だか私の知っているBUMP OF CHICKENと違うと戸惑ってしまって、一時期、距離を置いてしまった。

 

 

 

 

それでも、どうしようもなく辛い時に聴くのはBUMP OF CHICKENだったし、一緒に泣いてくれるのもBUMP OF CHICKENだった。 去年ライブに行って、とても楽しかったけれども、なんだかプラスの因子が強くて、眩しいな……何だか遠いところに行ってしまったなと思った。

 

 

 

 まぁそんな感じで生きてきて、20周年最後の日、2017年2月10日に発表した「リボン」をきいて、もうなんか、なんかもう、「BUMP OF CHICKEN」という存在が私の中で想像以上に大きくなっていて、もうもはや、好きとか嫌いとかでないのかもしれないということに気づいてしまった。

いや、本当はもう気づいていた。

 

 


BUMP OF CHICKEN「リボン」

 

 

 

 「リボン」は、20周年の最後を彩るに相応しい曲で、BUMPからファンへのラブレター、でもあるけれども、それよりも色濃いのは、 藤原基央から他のメンバーに向けたラブレターという意味合いが強くて、「BUMP OF CHICKEN」という場所を愛している本人達を見て、もう何だか私の変なこだわりは何なんだろうって思って、もうそういうのどうでもいいや、好きな人達が幸せそうなら、それは素敵なことだなって思った。

 

「嵐の中をここまで来たんだ」と、BUMP OF CHICKENを船にたとえるBUMPらしい導入。そこから、過去の曲たちを想起させる言葉たち。愛だなと思った。 そして、「君の勇気を僕が見れば星だ 並べても同じでありたい」「赤い星並べてどこまでも行くんだ」という歌詞。

 

この辺は、「三つ星カルテット」で描かれている藤原基央から見たBUMP OF CHICKEN、 「BUMP OF CHICKEN」の象徴だったりすると思うのだけど、三つの赤い星を囲む四つの星・オリオン座のように、無数の星から線を結んでできた星座であるBUMP OF CHICKEN。 

 

BUMP OF CHICKENは、その実藤原基央のカリスマ性によるところが大きいのだけれども、その感性や音楽性は、今のBUMP OF CHICKENのメンバーと過ごしているからこそ出来たもので。彼等と日々を過ごすからこそ、生まれた曲たちで。

 

 もっと演奏が上手かったり、もっと話せる人がいても、その人だったらダメで。

 

 最高に幸せそうだよな、純粋に仲の良い信頼できる人達と楽しいことを楽しくやって生きていく姿をみたいなって純粋に思ったんだよね……。

 

 「君の勇気」というと、チャマことベースの直井由文ツイッターの頻繁な更新とか、物販の販促とかがふと思いついた。 今回のツアーの初日に参戦したのだけれど、そこで物販の話になった時に、チャマが例のごとくガンガン告知していた時に、物販が控えめだったのを受けて藤くんが、「今日は控えめだね」ってなって、「だって、みんなに嫌われたくない…w」と言ってて。(その後藤くんが即座に「嫌わないよ」って言ってた。)

 

 これは冗談ぽく言っているけど、ライブの収益ってグッズによるところが大きいから、やっぱり誰かがガンガン言わなきゃならない部分が多いと思うのですよ。

 

その役割をここ数年、チャマが担っていて。そういう勇気を星だって評してるのかなって何となく思った。 

 

一時期は脱退を考えたギターの増川さんも、前より話すようになったし、笑うようになった。升さんも笑顔が増えた。そういう機微を勇気と呼ぶのかどうかは分からないけど、そういう機微を勇気と呼ぶ人ではありそうだなと思っている。

 

  BUMP OF CHICKENを続けるために頑張っていることを、BUMP OF CHICKENの要が好きで愛している限り、私はBUMP OF CHICKENを好きでい続けるだろうなと思ったのです。 言葉にするとなんか、重いな…(笑)

 

 

 

 そして、その気持ちのままツアーへ。

今回のツアーはアルバムのないツアー。

 

 

 

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 20年のベテランバンドが、「PATHFINDER」と開拓者や探検者を意味する単語をツアー名にしてしまう感じに、彼らの青臭さを感じて、何処かホッとした。

 

今回は、幕張の初日と、ZEPP NAGOYA初日と、ガイシの初日のつもりだ。初日ばかりなのは、偶然である。

 

 今回、幕張初日とZEPPに参加して強く感じたのは、このツアーは、BUMPとファンとのチューニングのツアーなのかなということ。

 思いのほか、昔の曲が盛り上がっているのにメンバーが驚いていたり、こうグルーヴみたいなのを感じていたり、温度を共有している感覚があった。このツアーは2日とも、メンバーが非常に感傷的になっていて、なんだかすごく「LIVE」だなと思った。

 

 

 まあ、プラスの感情も、マイナスの感情も、色々と思ったことはあるけれど、今のところ痛烈に感情の深いところに刺さったのは、ZEPPで久々に歌われた「才悩人応援歌」!!!  

 

私のテーマソング()であるゆえ、正直、今聴いたら、「ファンだったミュージック新譜暇つぶし 売れてからはもうどうでも良い」(私が好きになった時点で売れてたわけだけれども(笑))ってなるかなと思ったんだけれども、全然そんなことなかった!!!

 

 むしろ、それをひたすら聴いていた時期を思い出して泣きそうだった!!! 本当大好きが溢れ出した。

 

 ライブハウスでは、本当に運が良くて、かなり近くで見れたのだけれども、ふとした時にメンバーの顔のシワに年齢を感じて。楽しそうな笑顔に、そこに積み重ねてきたものを感じて。なんだか、それが無性に嬉しくて。

 

  あぁ、一緒に歳を重ねてきたんだな…って、無性に感じてもうなんか、はやく30代の世界に行ってみたいなとも思った。その前に20代をもっと真面目に生きなくては、とも思ったけれど。

 

 

 

 最近のBUMPの曲で圧倒的に好きなのは、「記念撮影」なのだけれども、そのことをBUMP好きの友達に話すと、大抵同じ意見である。どこか懐かしいメロディラインなのだろうか、それとも歌詞の感情か。難しいことはわからないけれども、「終わる魔法(青春)の中」にいる私達は、まだ「迷子のままで大丈夫」と言ってほしいのかもしれない。

「今僕(BUMP)のいる未来」に希望を持ちたいのかもしれない。

 


BUMP OF CHICKEN「記念撮影」

 BUMPの歌はそう、多分、私の一歩先・十数歩先を歩いていて、それを北極星にして歩いてきた。 今はまだ過去の軌跡に心奪われることも多いけれども、これから、また、今の眩しさを含んだ曲もまた後々私の道標になっていくんだろうなと思う。 もう、好きとか嫌いじゃなくて、私の心臓に近いところにBUMP OF CHICKENはいるんだろうなってすごく思うのです。

 

  BUMP OF CHICKENが少しでもファンの方を見て歌っていて、何よりBUMP OF CHICKEN自身がBUMP OF CHICKENを好きでいる限り、私はBUMP OF CHICKENから離れられないだろうなって思ってます。

 

 

ガラスの眼を持つ猫は、星(スター)になった。 得意のブルースを聴くことはあまりなくなったけれども、ガラスの眼をした猫の眼は、希望を映すレンズとなって、その時、その時を懸命に映し出していく。これからも数多くの色鮮やかな記念写真を生み出していくだろう。

私はその記念写真を北極星にして、私は私の人生を存分に楽しみたいと思う。